オオトモマキからの “超個人的” 情報発信トポス

布は傍らで語る〜

脳の襞を増やすべく、この度ボケ防止的に新たにスタートです。旧「布は傍らで語る」ブログ(2009.10~2010.05)もやってました。
昨今は日本←↓↑→メキシコ行ったり来たり。
超私的な好みでアンテナにひっかっかったメキシコや日本の物事柄を綴っていければと目論んでます。

*ここに紹介されている情報(展覧会やイベント情報、はたまた所在地など)は、月日とともに、知らぬ間に、中止や変更があるかもしれません。
ですので、お出掛けの際には今いち度ご自身で情報確認されることをおすすめしまっす!

2010年6月27日日曜日

至福の “知” 空間 - ホセ・ヴァスコンセロス図書館 Biblioteca Jóse Vasconcelos



この図書館、ほんとうにヤバいです。

メキシコD.F.ですと、UNAM内の図書館やメトロBalderas近くのメキシコ図書館を好んで使用してましたが、ここ『Biblioteca Vasconcelos』が凄すぎてこの近くに住みたいくらいです。
2006年に開館された新しい図書館でして、その空間はかなり未だかつて無い。ホームページのギャラリーから画像を貼付けつつお話すると…



▶まず、高〜い中央吹き抜けの両脇には本棚がこれでもかってくらいに何段も有り、まるで『浮かんでいる』かのように配列されてます。
エントランスから度肝を抜くその景色に、私のテンションが⤴。




▶2階から書籍部分となります。この図書館でもっとも気に入ったところは十二分に在る『読書・自習スペース』。窓際にもそうしたスペースが在り、従来の図書館での「本に囲まれた圧迫感」(あれも嫌いではないのですが)が皆無です。しかも、レザー張りのおしゃれなソファでまったり読書から、プラスティックのモダンスツールに座りつつデスクライトを照らしてガシガシ自習などなど。気分によってタイプが選べるのです。はたまた、デスクトップPCがずら〜っと並んでいてラップトップを持参せずともPC作業もできるのです。

実際、棚にまだかなりの空きが見られるので、書籍数や内容に関しては今後に期待するとして…
この環境、ほんとうにヤバいです。かっちょよくってオサレで広いってこともあるのですが、なにしろこの図書館、利用者が少ない(利用時間にもよりますが)。そこかしこにある読書スペースも、ほぼキャパ3割くらいしか(以下かも)使われてません。なので、スキ間を見つけて腰を据えれば心の底からリラックスして、人目も気にすることなく、超集中することができるのです。


私、旅中で訪れた土地に図書館を見つけると、ほぼ必ずチェックします。
歴史ある重厚な建築なのに所蔵書籍が貧相だったり、こじんまりとした小屋かっていう所でその土地の貴重な資料を発見したり、その様相は実にさまざま。ただ本を借りに行くだけならば書籍の所蔵数と内容だけで選びますが、資料を探しつつ出来れば居座りたいのが本音です。よって、人々の知的欲求が心地よく浮遊している空間であり、ゆったりとした(ス)ペースを持った図書館がいちばんの理想です。
そんな理想空間を見つけてしまったという話です。

書籍部分以外にも、展示スペースやお子ちゃまのためのワークショップスペースなどもありました。
図書館の目の前にはCONACULTAのなかなかデカイ本屋もあって、もちろんVasconcelosモノは充実してました。
新たにD.F.の観光地となってもおかしくない、と個人的に思ってます。

Biblioteca Vasconcelos
開館:月曜〜日曜 8:30〜19:30

2010年6月25日金曜日

オアハカで“のだめ的”映画を見る “Orfeu Negro(1959)” en El Pochote



メキシコ・オアハカのセントロにあるシネクラブ『El Pochote』
ここ、毎日異なる映画が何と “タダ” で見られるのです。
オアハカ中心地には『素敵なお金の使い方をする金持ち財団』が運営している美術館・博物館・図書館・映画館・文化センターなどが沢山あり、なおかつどれもその建築やグラフィックなどのセンスが抜群に良くて好きです。

このミニ映画館 El Pochote(エル・ポチョテ)へは、旅でオアハカ滞在中に通っていたのですが、ある日鮮烈に記憶に残る映画『Orefu Negro』(1959年公開、フランス・ブラジル・イタリア合作)に出会ったのです。
映画のあらすじは端折りますが…とてもおもしろい映画です。

大まかにはベタな(無理のある)悲恋物語です。しかし2010年の現在、1959年制作のこの映画の全体的なチープさがたまらなく愛らしく感じてしまうのです。
途中途中で起こる唐突な展開。死神が出てくるわ、原始宗教儀式で突然おばちゃんの口寄せがあるわ…と忙しいです。
一番たまげたシーンは…主人公の男性オルフェが自らのミスで感電死させてしまった愛する女性ユーリディスの亡骸を抱きファヴェーラに戻ると、怒り狂った元婚約者のミラが割とデカい石をオルフェ目がけて投げつけます。それがオルフェの頭に直撃ドーン!!よろめいたオルフェは崖に足を踏み外し、ユーリディスの亡骸とともに真っ逆さま〜。足はクネクネ、勢いよく崖の巌にぶつかりながら転がる明らかな人形2体のその様が「のだめ」の人形使いを彷彿。やばいわ〜と私のなかでのこの映画の位置づけが確実なものになった瞬間でした。



しかし、この映画決して失笑なシーンばかりではないですよ。
なにしろ、Antônio Carlos Jobim が音楽を手がけてます。オルフェがギターを弾いて唄うシーンでは口パク、バックですばらいしいAntônio Carlos Jobimのギターと歌声が流れます。ほかにも今ではディズニーのエレクトリカルパレード化してるという噂のリオのカーニバルも手作り感たっぷりの衣装や山車、生バンドの様子も見れます。単純に半世紀前のリオの町並みや人々を見るだけでも興味深いものです。映像人類学的に見応えがあってすばらしい映像だなと。



主人公2人が死んでも映画は悲劇的なまま終わらず、サンバ音楽に合わせて子供らの激しいダンスで終わるというなんとも幸せなラストシーンににんまりしてしまう。遺伝子的にラテンリズムが染み付いてるんだろうな〜と大感心しつつ、『いいな〜こういう雰囲気〜』と完全に映画に入り込んでました。

普段はこれってものが無い限り映画館はめったに行きませんが(特に日本は映画が高いので…)、旅してると映画館に行って見たくなるのです。主に暇つぶしが目的なのですが、そこで意外に収穫がある時もあるんですよね。
El Pochoteでは映画上映だけでなく、トークショーやワークショップなどのイベントもあるみたいです。以前はAkira Kurosawaウィーク的なものがあったり、また、邦画もちょこちょこ上映されてるようです。

2010年6月22日火曜日

メキシコ民族衣装にみる“アイデンティティ”  México vestido de tradición

リカちゃんもバービーも目じゃない!

メキシコシティMuseo de Arte Popularで展示されていた『México vestido de tradición. Colección María Esther Zuno de Echeverría』が凄まじかったです。

1970年〜1976年にメキシコ大統領を勤めたLuis Echeverría Álvarezの妻、María Esther Zunoさん。
消え行く“メキシコの素晴らしさ”をどうにか残し、またそれらを子供たちにアトラクティヴに伝えていくことはできないかーと考え…メキシコ全土を旅し、各地の民族衣装や付随する小物類を収集。さらに、全長52cmのビニール人形をインディヘナのアルテサノたち(手工芸のアーティスト)に配布し、そのスケールで各地の衣装をつくってもらったようです。

その実物大衣装と小物、人形によるミニアチュールコレクション500点以上の中から相当数が見れた見応えたっぷりの展示。

  

↑全32州の主な民族衣装を着たお人形たちによって形つくられたメキシコ地図。これだけの数が並ぶとちょっと怖いです。

                    

このお人形たちのすごいところは、精巧に再現された各地の民族衣装や小物を身につけているだけにとどまらず、髪型やメイクも完璧です。そして衣装や小物は、それらを作るにあたっての道具や素材までも一部は人形と同じスケールにつくられたそうで、繊細さは一目瞭然。織物や刺繍のデザインも全く不自然なところがなく、さもスモールライトでそのまま小さくされたかのよう。作り手たちの技量と意識の高さがうかがえるなー。

はじめはMaríaさん自身がひたすらに作り続けたものなのかと勘違いしてて、『なんてパッションを持ったおばちゃんなんだっ』とアウトサイダーちっくに鑑賞してたのですが… おばちゃん(元ファーストレデイに失礼な)が全部つくってなくても、これだけの点数とクオリティの高さには圧倒されます。
それと、人形たちの佇まい。このちょっと笑える滑稽さがさらに愛おしくさせる。いちおう、ビニール人形は男性・女性と分けられているのですが…三つ編みして女性衣装着ているのに「口ひげ」があるよ〜とか、ウイチョル族4人衆の男性がぴっしり七三頭とか。
人形一体一体の個性もやばいです。




私自身もメキシコ各地の民族衣装を把握しようと記録・分類作業を長〜い目でしてる最中ですが、時代・地域・民族・祭事別によって莫大な種類が存在しています。資料だけで安易にカテゴリ化をすることは不可能だと気づき、実際に足を運んで目にしたものを記録していくしかないわーと悟ったところです。衣装は時とともに変化・消失していく(率が高い)ものなので、このコレクションの中にも実際の地域では既に変化・無くなった衣装も多いと思います。ですので、ある時代の衣装記録としても非常に貴重なものなんです。まあ、私的にはその辺りの真面目な価値というよりは、ミニアチュールの完成度の高さや人形の滑稽さに魅かれるのですが。

衣装ってかなりかさ張るものなので収集は今のところ避けているのですが、この『ミニ化』ってかなり良いアイデアです。
やるやらないは別にして。

*ブログのトップ画像もこの展示で撮影したものを使用